New!第35回
「若狭」
梅雨明けの近い7月の中旬、越前の若狭をまわる旅をした。戦国の城下町一乗谷朝倉氏の遺跡や永平寺を訪れた後、三方五湖を望む山頂公園から、日本海に連なる五つの湖を見下ろす。よく晴れた日で、木々の深い緑と海や湖の青に癒された。湖は海に連なる汽水湖で、一帯は魚が豊富に獲れる。
五湖の代表三方湖の近くには若狭縄文博物館がある。周辺に広がった縄文文化を、発掘された遺跡の展示物から振り返った。縄文の遺跡は日本の各地に見られるが、ここでは漁に使っただろう太い木をくりぬいた丸木舟が目を引く。丸太にこれだけの加工を加える切削術、そして湖上に舟で乗り出して漁をする方法を、当時の人たちが手にしていたことを示すものだ。黒曜石を刃物にした切削方法の館内実演も興味深かった。
縄文博物館の向かい合わせには横長の建物があり、この方は年稿博物館と呼ばれる。これは五湖の一つ水月湖の湖底からさらに地中深くまでボーリングし、プランクトンや鉄分などが季節によってちがう相貌をしているのを乱さずに採取した年稿を展示する。案内によるとその長さは45メートル、7万年間途切れることなく積もっていて、花粉や火山灰、黄砂、洪水の土砂まで含まれているという。この長さは世界一だ。年稿一年分が厚さ0.7ミリといい、詳しく見ていくと大山の噴火や洪水の痕跡までたどることができる。ガイドの説明によりながらそれを確かめた。
従来、考古遺跡の年代を測るのに放射性炭素年代測定法が広く用いられてきたが、この年稿との比較対照によって測定の制度が飛躍的に向上したという。年稿の採取方法はドイツ人研究者の発明になり、それを当地では立命館大学が導入してボーリングを行っている。
近年、学術研究の基礎をなす基準の整備がよく報じられるようになった。鹿児島大学の総合研究博物館は30万点の標本を保管する魚類標本庫をもつ。館長の本村浩之教授は「魚類を学術標本として適切に残すことで、後世の人が生態や当時の環境など貴重な情報を得るができる」と言っている(朝日2025.7.24)。古代鏡の研究で浜田青陵賞を受ける岩本崇島根大准教授は、三角縁神獣鏡研究による編年づくりの業績が評価された。画一的に語られてきた古墳社会も地方ごとに違うことに気づいたという(朝日2025.7.26)。このように学術研究の基礎づくりは地味ながら、参照されることで新たな知見を生む可能性を広げていく。年稿博物館も、世界標準の年代の物差しを提供しているのだ。
海や湖を控えた若狭は、豊富な食材を生かして様々な料理を育んできた。三方湖畔の宿では地元産の魚料理を存分に味わった。よく獲れる鯖はへしこと呼ばれる発酵食品となり、あるいは鯖寿司として賞味されてきた。また小浜に発する鯖街道を通じて、鯖は京都にも運ばれている。
ところで先年の輪島半島地震では、停止を余儀なくされた原発もある。そうしたなか、若狭湾に面する美浜原発の再稼動に続く新増設の動きが伝えられた。一見のどかに見える若狭地方を、再び福島原発の事故後のようにしてはならない。技術に過信することなく、地域の平安を守ることを第一にと切実に思った。
(2025.8)
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