New!第34回
「杭州」
10月の初め、北京へ出張したついでに杭州まで足を延ばした。西湖を抱える景勝の地で、古くから詩に歌われ、その風景は世界遺産になっている。
秦の始皇帝がここに県を置く以前の太古から歴史を数え、後には南宋の首都でもあった。商業が栄えて、北京との間にはこれも世界遺産の京杭大運河がある。また、仏教が盛んだったころ、空海が遣唐使として日本から渡った期間に滞在したともいわれ、文化交流の拠点だった。
さらに龍井茶など茶の名産地で、西湖を見下ろす山の斜面には、茶畑が広がっている。一方、湖の反対側には高層ビルが林立し、東京やニューヨークのビル街にも引けを取らない。新旧の歴史がこうして対面しているのだ。
西湖と周りの風景を眺めるため、宮殿のような大掛かりな化粧を施した遊覧船に乗った。電動なのか、エンジン音がしないのがいい。船首は茶席になっていて、菓子を口にしながら熱い龍井茶を飲み、湖内をめぐる。天然の湖の中に人工的な島があり、そこに上がって蓮池を囲む散策を楽しんだ。
西湖のすぐ東には、宋代の商店街を模したといわれる河坊街が、古い趣のある町並みで湖に向かっている。
名産のお茶を売る店、道路際で槌をふるい菓子をこねて売る店、焼き物や絹地などの店もある。客寄せの打楽器や呼子を鳴らしながら路上をにぎわす音の風景は、いつの間にか日本から消えてしまったが、ここではまだ健在だ。
杭州には、中国でも唯一という茶葉博物館がある。丘陵の広い茶畑に取り囲まれ、展示館や茶室が置かれている。
中に入ると、茶畑の茶からは想像もつかない太い幹となった茶の大木が一部にある。茶の歴史を見せる展示からは、その利用が古代に始まっていたことが知られる。葉を摘んで香りを引き立たせ飲用にするため、古代では製茶の作業に奴隷を使った時代もあったという。
やがて中国流の製茶と飲む作法が整備され、それを大成したのが唐代に「茶経」を著した陸羽だった。茶樹の説明から、製茶、飲茶の器具、茶の立て方や飲み方、産地まで記され、岡倉天心の「茶の本」にも出てくる。その茶道が日本に伝わり独自の発展を遂げたことも、博物館の展示は触れている。
日本に帰国すると、ちょうど中国映画「西湖畔に生きる」の上映中だったので、映画館に足を運んだ。山間の茶畑で茶摘みをして生計を立てる母親と都会に出た学生の息子が中心の物語だ。カメラは茶畑と湖を挟んだ向こうのビル群を一望にして、伝統社会と経済発展の併存を印象付ける。地道に暮らしていた母親はやがてマルチ商法に手を出すようになり、破滅していく。必死でそれを諫めようとする息子の声も届かない。人間ドラマと自然描写がからんだ見ごたえのある映画だ。
中国社会の変貌は激しい。その変貌についていけない人も出てきているのだろう。岡倉天心の「茶の本」は、滞米中の岡倉が日本文化の紹介のために英語で行った講演をまとめたものだが、生産性や物質的なものを追求する当時のアメリカや日本を念頭に、精神性に立つ東洋思想の必要を説く思いもあったろう。その説明で、陸羽に連なる茶道が手掛かりとされた。一世紀後の今日、中国に同様な問題が提起されている。西湖畔はその舞台の一部といっていい。現代の中国に、天心のような人物はいるのだろうか。
(2024.11) |