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コラム

知財風土記

第29回 
「漆器の里輪島」

 大雪の降る2月初旬、漆器の里、輪島を訪れた。根雪が道を覆い、吹雪が吹き付ける寒さで名物の朝市もほとんど休業というなか、漆器の店が軒を連ねる通りを歩み、椀やぐい飲みなどを土産に買い込んだ。道の奥には重蔵神社があり、漆器職人の守り神となっている。室町時代創建時の朱漆塗りの扉が保存されている。
輪島塗のぐい飲み  塗師屋(ぬしや)という看板を掲げた店がある。漆器の製造と販売を行っているのだろう。店舗に連なる建物の一部が作業場か。輪島塗は木地を加工して、塗料になじませる下塗りを何層にも行っていく。漆、地の粉と呼ばれる米糊と混ぜ合わせた珪藻土の粉末を塗り重ねて下地を作り、完成まで百以上の工程があるという。珪藻土は輪島市内の小峰山でとれるものを蒸し焼きして粉末にする。その発見が輪島塗に役立った。これらは塗師屋のもとで分業化されている。完成にはふつう半年から1年が必要だ。
ぬしやの看板を掲げた漆器店  塗師屋はまた、産品を問屋に卸さず自ら顧客に販売する方法で全国に輪島塗を広めた。顧客のグループである椀講を組織し、高価な品を安く入手する方法も提供して、販路の拡大に努めた。
 食器などの用途を離れた美術品の漆芸も発展している。輪島市文化会館のロビーに展示がある15枚の屏風状パネルの作品「潮の奏」は、輪島の漆芸作家63人が総力を挙げて完成させたといい、規模で世界最大を誇っている。潮騒の海をアジサシが乱舞する場面が、黒塗りの光る地肌から浮かんでくる。こうした作品は蒔絵、沈金、螺鈿など装飾の工芸と結ばれて、現代に連なっている。漆を塗った面に模様を彫り、そこに金箔や金粉を着けていく沈金の前史雄、山岸一男など、重要無形文化財の保持者になった作家もいる。
ウインドー越しに見る「潮の奏」  英語のジャパンという語は、漆器の意味も持つ。日本の漆器はオランダの東インド会社が京都や長崎のものをヨーロッパに輸出し世界商品となる過程で、その評価が定まった。江戸初期、日本製は中国製より質が高いとみられていたらしい。中国にも漆芸の伝統はあり、幾層にも塗り重ねた漆の層を削り取って模様を出す彫漆の技法は、中国から鎌倉、室町のころ日本にもたらされたという。
 日本の漆文化の歴史も古い。函館近くの遺跡からは、9千年前といわれる縄文早期の装飾品が出土している。漆は塗り上がりの色が美しく、補強や接着にも有利だから、装身具、呪具、食器などに広く使われた。
 国内に漆器の産地は少なくないが、中国から漆の輸入が止まった戦後、多くの産地は合成塗料に切り替えを行っている。その中で輪島は天然の漆を使うことにこだわった。
 東南アジアを旅行していると、ベトナム、ラオス、ミャンマーなど各地で漆製品に出会う。ここにも古くから漆芸があるが、仕上がりは輪島塗のようにつるつるではなく、素朴な感じがする。それなりの味はあるものの、比較の対象ではない。また、使われている樹木も日本のウルシとは違うハゼノキだという。
 中国からの漆輸入はその後再開され、輪島も他の産地同様、現在はほとんどを中国産に頼っている。国産の量を増やすべきだとしても、栽培から収穫まで決して簡単ではない。
 後継者の不足がまた深刻で、輪島漆芸技術研修所がその養成に力を入れている。重要無形文化財の指定を受けている輪島塗の保存には、この先も真剣に取り組む必要がある。しかし、衣食住のすべてが日本の伝統を離れていくなか、それは生易しいことではないだろう。
 (2022.3)

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