第5回
「インドのこれから」
民間外交推進協会のインド訪問団に加わって、ニューデリーに向かった。成田を飛び立つと間もなく、上空からは雪をいただいた飛騨山脈の冬景色が望まれ、目を楽しませた。
ところがインドの上空近くでは、遠くヒマラヤ連山の頂上が見えたものの、地上の景色は厚い霧の様なものに覆われて、見通すことが出来ない。たまたま隣席にいた学会に出席するという気候学者によると、人為的な大気汚染によるものらしい。
中国もインドも、アジアの新興国は経済発展とは裏腹に、深刻な環境問題に直面している。アジアだけではない。メキシコも同様だった気がする。
到着後、多くの閣僚に面会する機会を得た。インド気象庁舎内ではアシュワニ・クマール計画・科学技術担当国務大臣に会った。機上から見た印象をもとに、インドの経済発展には、環境との調和が不可欠であり、日本の経験が役に立つと思うと述べた。大臣は、クリーン・エネルギーの必要性は理解しているつもりであり、そのためにインドは原子力発電を進めていく、という回答だった。原子力への楽観的ともいえる信頼に違和感をもったが、これ以上議論を深める時間はなかった。
いったいに、インドの現政府は原子力の開発に対して、強い決意で臨んでいるように思われる。国防上の理由から核兵器を保持し、原発も22基が稼働している現状がそれを物語っていよう。後に会ったラメッシュ農村開発・衛生飲料水大臣は、以前、電力担当国務大臣を経験し、インド工科大学卒のインテリというが、やはり素朴な技術信仰と無縁ではない。事故を起こした福島第1原発と起こさなかった第2原発との間には10年の開きがあり、10年の間には確実な技術進歩がある、という発言にそれを感じた。飛行機でも10時間かかるインドと日本の温度差は、原発をめぐってこのくらいあるのだ。
ただ、何人か会った閣僚の執務態度には好感をもった。インドに発つ前、ケータイ電話の周波数割り当てをめぐる汚職事件でシン首相の求心力が失われているという報道に接していただけに、政府職員の働きぶりが気になっていた。ニューデリーに着いてみると、町のビルが東京並みのきれいな建物と内装を誇るのにくらべ、政府関係のそれは一様に薄汚れて、みすぼらしい。選挙民目当てのポーズだと説明されてはいるものの、公務員が清貧を前面に出すのはけっして悪いことではない。明白な政策目標を持ち、日本から学べるものは学びたいという謙虚な態度もうかがえた。
インドは世界最大の民主主義国と呼ばれることがある。12億の人口を抱え、有権者の数からしたら、それも誇張ではない。滞在時は州知事や議員を選ぶ地方選挙のキャンペーン中で、会う予定だった閣僚が選挙区に帰っていて会えないということもあった。日本に似た光景で、政治家が選挙区を意識している表れだろう。
ただし、民主主義のスタイルは、いくつかの点で日本とは異なるように思われる。地域格差や、身分、言語などの多様性が日本の比ではないほど大きく、合意の形成は容易でない。このため連立政権になるのは必然だろうが、一方で政治決定に利益誘導と思われることも大胆に行われるようだ。
しかし法への信頼はかえって厚く、三権の中では司法権の力が日本よりはよほど強い。ケータイ電話の免許をめぐる汚職事件で、インド最高裁は2008年1月以前の前大臣による免許122件のすべてを無効とする判決を出している。さらに今後の周波数割り当てはオークションでするように命じている。免許を前提に事業を進めてきた企業には大打撃で、インドに投資をもくろんでいた外資などは、予見性がないインドの経済状況に不満を募らせている向きもあるようだ。このように外交問題となりかねない決定力を持っているのが、司法権だともいえる。
また、大統領の権威と首相の権力を分けているのも、巨大な民主主義国家の知恵だろう。こうしてともかくも国家の統合を維持しながら、インドは近年8%を超える経済成長を続けてきた。
経済成長を支える大きな柱が、国民の高い英語力を利用した時差ビジネスだ。アメリカの病院で検査したデータがインドに送られ、熟練した医師が診断して送り返すことは現に行われているし、ソフトウェアの開発は欧米や日本から受注して、成長を続けている。大都市の周辺にはコールセンターができ、外国の事務所の電話の対応などを代行することも広まっている。もっともこの道に職を求めた人は、若くして単純な仕事で高い賃金を得るものの、その後のキャリア形成の機会を失い、中年以降で使い物にならない人物になってしまうといわれる。そして、インドでは、これが社会問題化しているようだ。
日本からはインドの高い経済成長と可能性に目をつけた企業進出が加速し、過去4年で2倍に増えている。当然、知財の動きもあるが、今後は日本からインドへ向かうだけでなく、インドから日本を目指す動きが出てくるだろう。さきに結ばれた経済連携協定は、その追い風となるはずだ。事務所にはインドの特許事務所から、このところ頻繁な接触がある。 (2012.3) |