!第8回
「イエローストーンの生物探査」
今年の国際商標協会(INTA)の会合は5月にダラスで開かれた。知財関係者のフォーラムでは最大で、毎年1万人近くが集まるといわれるが、今回は幾分少なめの7千人ほどだったようだ。ケネディー暗殺の地という以外、たいして予備知識もなくて当地に赴いた。そこで目を引いたものが二つある。
ケネディーの死を悼むモニュメントがその一つ。市の中心の広場に大きなコンクリートの壁で四囲を覆っただけの簡素なものだが、中に入ってみて、虚ろな空間がかえって故人を思わせ、訴える力を感じた。
もう一つはマーガレット・ハント橋。市内と郊外を結ぶ道路にトリニティー川をまたいである吊り橋だ。中央の柱から吊ケーブルが斜めに張られる斜張橋のタイプで、そのケーブルが上部でクロスして綾取りをひねったような形をしている。サンチャゴ・セラトラーヴァというスペイン人が設計し、この町の新しいランドマークになっている。
さて、INTAでは、地理的表示の保護をめぐる欧米とアジアのパネリストたちの討論が印象に残る。シャンパンやカマンベールのような呼称をその本来地以外の産品では使えないようにしようというのは、ヨーロッパの従来からの主張だ。これに対して香りが高いバスマッティ米などの産地であるインドの弁護士は、EUの法制を他地域に及ぼそうとするのは相互主義の原則に立たない限り無理だと、非常に論理的な反論をしていた。インドにはこうした地域産品の呼称を守る国益がありながら、既得権に立つヨーロッパの主張には距離を置こうとする。地理的表示と商標の問題はきわめて政治的なので、当分議論が収束することはないだろう。
全般に今度のINTAでは、商標の取得がアジアでますます重要になってきていることに気付かされた。会場では中国やインドの弁護士、弁理士の数が目立った。
ダラスのあと、テキサスから北上してイエローストーン国立公園を訪れた。東西のプレートがぶつかりロッキー山脈を生んだ地で、造山運動は今も続いている。いたるところで温泉や、空に向かって吹き上げる間欠泉が噴出し、マグマによる地球の鼓動を感じさせる。バイソンやムースなど大型獣がのんびりあちこちで草を食んでおり、魚が多い清流や、湖、緑地、山肌が作る雄大な景観は、アメリカで初の国立公園に指定されただけのことはある。
熱湯の自噴泉に近寄ってみると、噴出孔の周りが青、緑、黄など様々な色をしているのに気づく。熱湯に耐えるバクテリアが棲みついていて、これらの色を生み出しているらしい。高温、強酸性、しかも嫌気性などの特徴を持つバクテリアがその環境に適応しながら、少しずつ違う性質を示し、棲み分けている。
この微生物を使った医薬品の開発などの研究も盛んに行われていて、ここには知的財産の成果をめぐる先駆的で重要な規制がある。公園の事務局で入手した資料によると、まず、この地の遺伝資源、生物資源を使って科学的な研究を行うことを生物探査と呼ぶ。この生物探査を行い、研究成果を商業目的に使用することを望む者は、それに先立って、国立公園庁と利益配分契約を結ばなくてはならない。研究が商業的な利益に結び付いた場合、こうして一定額が公園側に還流する仕組みだ。
これには歴史がある。1966年、トーマス・ブロック博士はイエローストーンの熱泉に棲みついたテルムス・アクアティクスと呼ばれる微生物を分離し、これがその後のDNAの研究に大きな貢献をしたのだ。1985年、DNAを人工的に複製するPCRと呼ばれる方法が発明された。テルムス・アクアティクスの酵素を用いるPCRは、もともと熱泉由来のバクテリアがもつ性質によりPCRの実施過程でその耐高温性をいかんなく発揮する。PCRの方法により、DNA鑑定、DNA診断などが急速に進み、PCRの特許権者には莫大な利益が転がり込んだ。
ところでイエローストーンの微生物など生物資源は本来、連邦の所有で、売買の対象とはならない。仮に研究成果が商用化されたとしても、生物資源自体ではなく、そこから生まれる知的財産のみが商用となるとされていた。このためイエローストーンで採取された微生物によるPCRは莫大な利益を生みながら、当初の契約が不備であったために、公園側には何の利益還元もなかったといわれる。
この反省から、イエローストーンは全米初の共同研究開発に基づく利益配分契約(CRADA)を整備するところとなった。PCRを商業化した当時の企業は公園側に5年間で10万ドル、さらに研究成果を利用した収入にはロイヤリティーに応じた額が支払われるという。
ところがこの契約が結ばれた後、競争会社から国立公園局に対して契約は無効とする訴訟が持ち上がった。国立公園が商業活動に従事するのは違法ではないかというものだ。環境影響の分析や利益配分契約の当否などが争点となった後、2000年、裁判所は公園の契約等の活動は合法とし、請求を棄却した。これによってCRADAは晴れて米国の規範として認知される。
2010年の名古屋会議で議決された生物多様性条約の議定書では、遺伝資源の利用により得られた利益を、資源の提供国と利用国が適正に分け合うことが骨子となっている。CRADAはそうした理念をもっとも早くに体現した例といえるだろう。
イエローストーンでは現在も年間40件ほどの研究が行われ、近く利益配分契約に至るものが数件控えているようだ。
イエローストーンは2千メートルを超える高地にあるため、5月の初めには日中も少し肌寒く、湖には氷が張っていた。そしてロッキー山脈の背骨が雨を太平洋とメキシコ湾に分ける分水嶺のあたりを車で越えるとき、シーズンを迎えて開通したばかりの道路わきには、雪がまだかなり消え残っていた。
(2013.5) |